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渡邉

ただし円周率は3としてよい

更新日:2022年5月21日

こんにちはOne Bridge アカデミーです。



小・中・高の学習指導要領が段階的に更新され、2021年度は新中学1年生の学習カリキュラムが変更されます。

各科目に変更点はありますが、とりわけ英語の変化が大きいでしょうか。

2021年度入学の新中学1年生は単純に単語量で言えばこれまでの1.5倍~2倍程度の英単語を学ばなければならず、さらに現在完了進行形などの高校で学習していた内容を中学で学ばなければなりません。


高校生はさらに次の年、2022年度入学(つまり新中3)の学年から大きく変更されます。

こちらの変更はさらに大きいです。

2022年度入学の高校1年生が高校3年となるころ大学共通テストも本格的に変わり、例えば数学は「Ⅰ」「ⅠA」「ⅡBC」からの選択となったり、社会は科目自体が再編されたりします。


共通テストについては昨年のゴタゴタが記憶に新しいかと思います。

結局、英語は2025年度以降も4技能のうちリーディングとリスニングが継続して共通テストで実施されることになっていますが、どうなるか不透明です。

まだまだ先行きは分かりません。



学習指導要領は約10年おきに変更されています。

社会の変化に合わせて、定期的に学生に求める能力を修正しているのです。

時代が変われば学ぶ内容が変わるのも当然ですね。

現代はグローバル化・情報化の時代ですから、とりわけそれらが重要視されています。

高いレベルにある英語力と、それに加えてデータ分析力や思考力を身につけよ。

というのが今の方針のようです。




本題に入ります。

指導要領の変更と言えば「ゆとり教育」という言葉をイメージする人もいるのではないでしょうか。

「ゆとり教育」とは1980年代(狭義では2002年度)から実施された、「生きる力」の養成を目指した学校教育方針のことです。


「ゆとり教育」が始まった経緯としては、


〈1980年代までの知識量偏重型の教育は

○子どもの思考力の欠如(単純暗記しかできない)

○子どもの多様性の欠如(学力以外の長所を活かせない)

○子どもの社会性の欠如(いじめ問題など)

○学校についていけない落ちこぼれの増加

など様々な問題を発生させている。

今後は生徒一人一人の個性を重視した教育を実施するべきだ。〉


という「ゆとり教育」推進派の主張が是とされ、学習指導要領が変更されるというものでした。

それまでの「詰め込み型教育」から脱することが「ゆとり教育」の狙いですから、その内容は「詰め込まない型教育」となりました。

具体的には教科書のページが薄くなり、その代わりに研究や議論、発表を促す内容が増加したのです。



では「ゆとり教育」の結果はどうだったのでしょうか。

これについては結論を出すことは尚早かと思います。

しかし授業時間が増加傾向であることや、学習内容の絶対量が増加していることから世間的には「ゆとり教育」は失敗であると考えられていると思います。

最近はあまり聞かないですが、「ゆとり(笑)」という感じで「ゆとり」という言葉が煽りとなっていた時代もありました。



「ゆとり教育」が失敗であることを指し示す資料として、PISAのスコアが取り上げられることがあります。

PISAとはOECDが中心となって実施している15歳~16歳を対象とした国際的な学力調査です。

この順位が落ちた、と「脱ゆとり」派は主張しているのですね。

一応、ここで一部順位を取り上げます。



2011年から2013年にかけて小・中・高の学習指導要領が変更され、「脱ゆとり」となりましたので、2012年以前(ゆとり)と2015年以後(脱ゆとり)とで色を分けています。

2015年の調査はともかく、2018年の調査対象となった高校1年生は2011年に小学3年生でしたので、少なくとも2018年の結果は脱ゆとり世代の結果と言ってもいいでしょう。

PISAを信用するとして、この結果をどう見ますか?

私はあまり違いを感じません。




前置きが長くなりました。

私がここで述べたいことは、『「ゆとり」と「詰め込み」のどちらがいいか』ということではありません。

私は「ゆとり教育」も「詰め込み型教育」も時代ごとの社会のニーズから策定されていると思っています。

経済成長期にあって、勤勉で均質的な人材が大量に求められる社会段階では詰め込み教育が望まれたわけですし、そして社会の成熟とテクノロジーの進歩と共に、分析的で独創的な人材が求められるようになるのも自然だと思います。

経済成長著しい中国でも、日本と同じような経緯で人間性重視型の教育へと転換が起こりました。



では何を述べたいのかというと、『「ゆとり教育」は間違えてはいない』ということです。

それはお前がゆとり世代だからそう言っているんだ、と思われるかもしれません。

というわけで、自己弁護的ですが考えを述べていきたいと思います。




"ゆとり世代は円周率を3と習っている"という話を聞いたことがあるでしょうか。

2002年に、某学習塾が大大的に

"小学5年生は円周率を3.14ではなく、「およそ3」として円の求積計算を行います。ホントです。"

と広告したことをきっかけとして、この衝撃的な情報が全国をかけめぐり、テレビ等で散々取り上げられました。

私の記憶するかぎり、教育のニュースとしては去年の共通テストに関するゴタゴタ以上に騒がれていたと思います。

そしてゆとり世代は"円周率を3として習っている"という認識が世間一般で広がり、この話は3.14のかけ算すらゆとり世代にはできないんだ、とゆとり世代を揶揄するための象徴となっていきました。



ですがこの話はデマです。

あるいは悪意のある誇張です。

ゆとり世代は円周率を3と習っているわけではありません。

詳しく知りたい方はwikipediaに詳しいので、そちらを御覧ください。


ゆとり世代の一人として言いたいことは沢山あります。

生徒に対して「よく考えろ」などと普段指導している塾がデマを広めたこと。

そのデマによって多くの人がバカにされるきっかけをつくったこと。

公教育への不安を煽っていること。

など。

ですがまぁゆとり世代全員に謝れ、と言いたいわけではありません。



場合によって円周率を3としてよいか、あくまでも3.14であるべきかについては大変偉い先生方によって十分に議論されているわけです。

しかし0年代を騒がせた「円周率3問題」を改めて我々も考えてみることで、今後の学習のヒントを見出すことができるのではないかと思いましたので、記事にした次第です。




まず私の考えとしては、『円周率は3としてよい』という立場です。


そもそも円周率とはなんでしょうか。

「円周率とは何か」と質問すると、多くの生徒は黙ってしまいます。

一部「3.14!」「π!」と答える人もいますが、それも誤っています。

「円周率はいくつか」という質問ではないからです。


大人でも円周率とは何かを説明できない人は案外いるのではないでしょうか。

円周率とは"直径に対する円周の長さの比率"のことです。

直径の長さの何倍が円周の長さなのか、ということです。

それがおよそ3.14だから、直径に3.14をかけて円周を求めるのです。

こんなことは小学校で習うのですが、それすら分かっていなかったり説明できない人が多いのが実態です。


円周率はこういうものだよ、と説明をすると

「いや知っているよ。だって直径×3.14で円周って求めるんでしょ」

と、論理が逆転した返答をする人もいます。

直径の3.14倍が円周だから直径×3.14という計算が生まれるのであって、直径×3.14をするから3.14が円周率というわけではありません。

しかしこの状態に陥ってしまっている人は多いのです。

学校で公式として教わる直径×3.14を、覚えることのみに注力してしまうと、なぜ3.14をかけるのか分からない人が量産されるのです。



私は3.14という数字を覚えること自体にあまり意味はないと思っています。

そもそも円周率は無理数ですので、3.14ではないからです。

もちろんテストでは、

Aさん:円周率が何のことであるか分かっているが、公式を覚えていなかった人

Bさん:円周率が何のことであるか分かっていないが、公式を覚えていた人

AさんとBさんのどちらの点数が高いかと言うとBさんです。

3.14という数字を覚えていなければ円のテストの点数は0点でしょう。

しかしどちらが学習をしているのかと言うとAさんだと思います。

Aさんには思考があって、Bさんにはそれが無いからです。



3.14という、ちょっと覚えるのが大変な数字が出てくると、どうしてもその数字を覚えることに注力してしまいます。

意味も分からずに3.14/3.14/3.14/3.14と呪文のように暗記することが勉強になってしまって、円周率とは何か、それを知ることで何ができるようになったのか、の意識が弱まってしまう可能性があるのではないかと思います。

そういう危険があるぐらいなら、たとえより不正確な数字であったとしても直径のおよそ3倍が円周と習う方が理解も深まるのではないでしょうか。

中学で無理数を習うまでは直径のおよそ3倍が円周と教わり、そして無理数を習った後に、実は円周率というものがあって、それは3ではなく3.14・・・・と教わることの方が学びの意義が実感できるのではないかと思います。

3ではなく3.14として学習することの意味は、3ケタのかけ算に強くなることぐらいです。

しかしそのような計算は、それを学ぶ単元で学習すれば事足ります。

わざわざ円周という新しい概念を学ぶ段階でそれをさせる特別な意味はありません。

確かに3ではなく3.14として計算すれば少し正確な値が出せますが、弊害の方が大きいと私は思います。


子どもの思考力を養うために、あえて3.14ではなく簡便な3を用いることもある。

そんな柔軟な姿勢が必要ではないか、という視点が「円周率3問題」の背景にはあったのではないかと私は思っています。(実際の理由は異なります)



思考力を問うという方向性にある今後の学習において、学習の仕方による差は拡大していくと私は思います。

小学生の段階から単元ごとの意味を考えて学ぶ人と、公式を丸暗記してテストで得点すること自体が目的になっている人の差は生まれはじめます。

円周率を例にしましたが、その学びの質の差は中学・高校では当然さらに広がります。

たかが円周率ですら学びの差は大きいわけですから、よく理解せずに学年を重ねた人にとって、高校3年次の学習内容は全く理解できないものになってしまうでしょう。





さて「円周率3問題」を例にして学び方について振り返ったところで話を戻しましょう。

学習指導要領には

"思考力・表現力・判断力

教科横断的

主体的・対話的

日常の事象・社会の事象を数理的に捉える"

などの点がポイントとして挙げられています。


また大学入試では科目融合型の問題を課す大学が出てきています。

共通テストの問題傾向もこの方針に準じています。

これらは正に「ゆとり教育」が目指した「生きる力」を問うているのではないでしょうか。

勉強を机の上で完結するものにせず、個人の生活や社会をよりよくするためのものとする。

その方針は「ゆとり教育」から新しい学習指導要領に引き継がれているのです。

「ゆとり教育」で増えた議論や対話のための教科書ページは、今もなお残っています。

そういった内容を重視しつつ、思考のための土台となる知識量も増えたというのが新しい学指導要領の狙いでしょう。



どうでしょうか。

「ゆとり教育」もそう捨てたものではないと思えてきませんか?



おせっかいに若者の学力の低下を心配せずとも、入試問題は毎年完成度が高まっています。

今と昔の入試問題を比較してみれば、今の中高生がどれだけ高度なことが求められるようになったか分かると思います。

これからさらに内容はハードになっていきます。

今の中高生は数十年前の中高生よりも高いレベルに到達しなければならないのです。

人の持ち前の能力は一世代程度では変わりませんから、新時代の競争に打ち勝つためには新時代の学び方をしていかなければなりません。

映像授業や優れた参考書の活用は具体的対策として有用でしょう。

しかしそれらを活用するにもやはり、学び方が深く関わっているということを中高生には知っていてほしいなと思います。





今回は以上です。

それでは失礼します。

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