• 渡邉

因数分解なんて日常生活で使わない

最終更新: 3月11日

こんにちはOne Bridge アカデミーです。


「勉強しなさい!勉強しないと大人になってから困るよ!」

「でも学校の勉強なんて大人になっても使わないじゃん」

「屁理屈言ってないで勉強しなさい!」

「youtube見るほうが社会勉強になるから」

「ヽ(`Д´)ノキィー!」



子供に勉強させたい親御さんや先生と、勉強したくない子供との間で繰り広げられるこんなやり取りは日夜繰り広げられているでしょう。

子供が勉強しない理由としてよく使う用語ランキング第1位(当塾調べ)は因数分解です。

「因数分解なんて何の役に立つの?」といった感じです。

因数分解が日常で使われるイメージが最も湧かない単元なんですかね?



では実際に因数分解は日常生活で使うのでしょうか。

「因数分解なんて使わないじゃん」と言われたときの返答にはいくつかの答え方があると思いますが、大きく以下のような感じでしょうか。





まず結論から述べると、因数分解なんて日常で使いません。

なんて断言すると使ってるよ派の人から怒られそうですので補足しておきます。


因数分解とは、ある数量や式をかけ算の形で表すことです。

例えば 15=3×5

15という数を3と5のかけ算の形にしていますね。

これだけのことです。

中高で学ぶ因数分解はもう少し複雑ですが、本質は数量や式の変形に過ぎません。



日常で使う派の人達は、おそらく仕事などで


売上=価格×販売数

であるから、店の売上を上げるためには価格か販売数を上げないといけないな

と考える際に使えるぞということだと思います。

さらに販売数は細かくある数量とある数量のかけ算だから...と考えていくこともできます。

つまり日常で使う因数分解とは〈漠然とした何かを細かく要素に分けて分析することで、物事へのアプローチを的確にする〉ということですね。



もちろん数理系の職に就くのであれば、はるかに複雑な計算が仕事として必要になりますので、因数分解の知識は必要です。

ですがまぁ数理系の職に興味のある人は「因数分解なんて」とは言わないでしょうから考慮しません。



仕事で因数分解が使えるからといって、それを学校で学ぶ必要があるのでしょうか。

物事を要素に分けて考えることは大人であれば自然と分かってくることです。

数学を専門とするつもりのない子が、身近ではない複雑な式の因数分解の手法などは学ぶ意味がないと考えるのも無理はありません。

私自身、「たすき掛け」をしたことなど高校以後一切ありませんでした。

というわけで使うよ派の言い分は、あまり子供に刺さらないのではないでしょうか。

「そういう仕事やらないから!」と言われて戦いは終了です。





さて、因数分解は日常生活で使いません。

では何のために学ぶのでしょうか。

それをキチンと伝えないと、因数分解を学ぼうとしない子に学ばせることはできません。


以下は個人的な考えです。


因数分解に限りませんが、学校の勉強は日常生活で使うために学ぶのではありません。

自身の課題解決力がどの程度あるのかを示すためにあります。


企業が学歴を重視する理由もここにあるのではないかと思いますが、生きることは課題解決の連続です。

例えば仕事をするのも、"収入が無いと生命を維持できない"という課題があるからですね。

その課題解決の手段として仕事をするわけです。


企業に入社してからも課題は山のようにあります。

何かしらの不便や不満という課題を解決するから、そこに価値が生まれ、価値に対して人々はお金を使い、企業は存続することができます。

企業は人の集まりですから、結局課題を解決するのは(今のところ)人の手によるものです。



人が課題を解決するのであれば、課題をより上手に、より効率的にクリアする人を企業は求めます。

では課題の解決力を企業はどこで判断するのでしょうか。

それが勉強なんですね。



学生に等しく課された課題が勉強です。

勉強という課題の評価基準であるテストで90点を取る人と50点を取る人、どちらが課題を上手く解決したと言えるでしょうか。

課題を解決するための主な手段が、取り組みの量であれ効率性であれ、どちらにせよ定められた期間内で90点を取る方が、課題解決力が高いことは明白です。



だたし、学生に等しく与えられる課題がなぜ勉強なのかという点に疑問は残ります。

勉強以外で人の能力を測れないのか?と。

実際に勉強を評価基準としてしまうことで生じる問題は確かにあります。

仕事する上での課題解決力と、テストの点は必ずしも合致しないからです。


評価基準として勉強が適切であるのか、勉強であるにしても現状の科目のままでよいのか、あれほど高度な内容を扱うべきなのか、これらの疑問については継続的に議論されるべきでしょう。

実際にそういった議論はされていますが、依然として主たる評価基準はテストの点数です。

おそらくその理由は、定量的かつ公平に評価を下すことができる課題の中で、勉強が最も才能や環境によって左右されにくい公平な課題であるからなのかもしれません。


才能や環境が学力に与える影響は大きいと多数の報告がなされていますので、この点には私も自信がありませんが、高校レベルまでであれば運動や芸術関係よりかは妥当なのかなと思います。




結局のところ、因数分解ができないこと自体は問題ではありません。

できなくても普通に生きていく上では使いませんから。

因数分解ができないことの問題はそこではなく、


課題解決能力がない

理解力がない

努力ができない

人間だと証明することになってしまうことが問題なのです。

ですから、そうではない人であることを示すために、日常で使わない因数分解を学ばなくてはならないのです。




今回は因数分解を例にしましたが、他の科目や単元でも同様だと思います。

どれだけ英語が嫌いで、一生日本で生きていくと決めた人でも英語は勉強しなければなりません。

それはやはり英語が"日常で使える科目だから"

というよりも、

英語が"人を評価する基準として採用されているから"です。




今回は以上です。

新型コロナウィルスの猛威が日に日に増していますね。

いつ収束するのか見当もつきませんが、最も確実な投資である勉強は家にいてもできます。

みなさん、未来が予測できない今こそ将来のために勉強しておきましょう。

それでは失礼します。

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