合格祈願と太宰府天満宮
更新日:2022年5月23日
こんにちはOne Bridge アカデミーです。
クリスマスが終わると年末ですね。12月はイベントが多くてワクワクしますね。
28日あたりからグッと寒くなるようですので体調管理に気をつけて下さい。
初詣のシーズンになると、多くの方が神社にお参りに行きます。
初詣で受験生の方は受験合格を祈ることかと思いますが、当塾の講師も毎年福岡県の太宰府天満宮にお参りに行っております。
というわけで合格祈願に特に御利益があるとされる太宰府天満宮と、その主祭神である菅原道真を紹介したいと思います。高校生以上向けです。日本史で出題されるところは色をつけておきます。
まず菅原道真について説明しますと、菅原道真は宇多天皇に重用された平安時代の貴族です。菅原道真の最も有名な施策は遣唐使の廃止ですね。このあたりまでは中学生でもおさえておかなければなりません。奈良時代から藤原氏、具体的には藤原房前からはじまる藤原北家の嫡流は天皇との外戚関係を利用して、政治のトップに君臨していました。一時的な例外はあるものの、基本的に政治のトップは藤原家でそれが藤原道長・頼通親子時代に隆盛を極めます。彼らが代々政治のトップに君臨できた背景は、先に書いた通り外戚関係です。外戚関係にある藤原氏を天皇も無下にはできません。
しかし、第59代天皇である宇多天皇は藤原氏を外戚にもたない天皇でした。宇多天皇は即位後、藤原基経(藤原北家)の死後は関白を置かず、菅原道真を登用します。藤原氏と外戚関係にないことからそれが可能だったのでしょう。
菅原道真は秀才として有名で、非常に若いときから官職についていました。菅原道真は894年に遣唐使として任命されますが、唐の混乱と日本文化の発達を理由に辞退、そして遣唐使を廃止させます。実際にアジアの超大国である唐は907年に滅亡していますし、平安時代の国風文化が遣唐使廃止後も栄えていることから菅原道真の主張は根拠のあるものだったかと思います。
しかし、菅原道真を重用した宇多天皇の崩御後に即位した醍醐天皇の治世において、藤原時平(略)によって菅原道真は左遷されることになります。藤原時平が自分と並ぶ権威をもつ菅原道真の存在を疎んで讒言によって菅原道真を陥れたとされています。この事件を昌泰の変(901年)といいます。
そして京を追われて左遷された先が太宰府です。太宰府は九州統治のために設置された行政機関です。決して酷い役職ではないのですが、京に住み、政治のトップにあった身からすれば大きな転落です。菅原道真にとっては大きな絶望であったと思います。そして京に戻ることなく、太宰府でその一生を終えることになります。歌人として有名であった菅原道真が京を去る時に詠んだとされる詩を紹介します。
「東風ふかば 匂ひをこせよ 梅の花 主なしとて 春な忘れそ」
東風(こち)とは東からくる風です。東風が吹けば、花を咲かせて匂いを(西にある太宰府まで)届けておくれ。梅の花よ。主人である私がいなくても春を忘れないようにな。
という詩です。とても美しい詩だと思います。
とまぁ、このような感じで失意の中で菅原道真は死んでしまいます。
菅原道真の死後、京都では天変地異が起こったり、左遷に関わった人物が次々に死んでいきます。それが菅原道真のタタリだという噂が流れました。怨念パワーを鎮めるために建てられたのが京都にある北野天満宮です。コチラも菅原道真を主祭神としていますので合格祈願にご利益があるとされています。
さて、菅原道真を祭った九州にある神社が太宰府天満宮です。菅原道真は学問の神様とされていますから、埼玉からは遠いですが、もし親戚の方が九州に住んでいるならお願いしてみるのも良いかもしれません。
本人が合格祈願をすることを止めたりはしませんが、受験生の合格祈願をするのは受験生の周囲にいる人々の気持ちだと個人的には考えています。
「人事を尽くして天命を待つ」そのつもりで受験生はあと少し頑張りましょう!